内覧会は、写真は1点撮りでなければOKなんだけれど・・・。
スマホを忘れた。
ついでに双眼鏡も忘れた。
ということで、写真は1枚も無し(;´・ω・)
とはいえ、何もないのは寂しいので、カタログとペタをアップしておく次第。
タイトルの「典雅と奇想 明末清初の中国名画」を、超ざっくりとアバウトに説明すると「典雅と明末(迄)」と、「奇想と清初」が対応するわけなんだな。
明が滅んで、(明から見ると異民族の)清王朝が成立した。
世の中がひっくり返るような事態の中で、画家たちも色々とアレだった。
典雅を旨とする絵画だけでなく、奇想ともいうべき絵画が隆盛した・・・ということなんだな。
それは、そうだろうと思う。
画家も、売れる絵を描かなければ生活できないわけだから。
意に反した絵を描いた人もいるだろうし、明への望郷捨てがたい(=清への反発)人もいただろう。
・・・と、ここまでは、僕でも理解できることなんだな。
そしてそれが奇想というパターンになったであろうことも、理解できるんだな。
ただ全く理解できないのが、「この絵画の、どのが奇想なのか?」ということなんだな。
僕にとって奇想といえば「長澤芦雪」「伊藤若冲」「曽我蕭白」なんだな。
あるいは「ヒエロニムス・ボス」「ブリューゲル」なんだな。
さもなくば「サルバドールダリ」「ルネ・マグリット」なんだな。
いずれも分かりやすいんだな。
何が変なのか?どこが微妙なのか?見れば分かるんだな。
だけれど、「典雅と奇想 明末清初の中国名画」の作品は、どこが奇想なのか?パッと見で分からないんだ!
典雅を旨とする伝統的な中国絵画からすれば、「へんてこな石柱」や「奇抜な山々」は十分に奇想なのだろうけれど、僕の感覚では「???」なんだな。
「典雅と奇想 明末清初の中国名画」展を通じて、「自分の常識≠世界の常識」だと痛感させられたんだな。
自分の頭を柔らかくしたい人には、超お勧めなんだな。
善は急げ・電話も急げ・「典雅と奇想 明末清初の中国名画」展はもっと急げ!
特別展「典雅と奇想 明末清初の中国名画」
会場:泉屋博古館分館 東京都港区六本木1-5-1
会期:2017年11月3日(金・祝)~12月10日(日)
サイト:
https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html