セガンティーニ展をアバウトな詳細チックに紹介してみる

草野俊哉@三線弾いてハッピーライフ!

2011年12月09日 01:08

セガンティーニは41歳というとても短い人生だったんだな。
そのため制作年数もそれほど長くないんだな(20年強くらい)。
制作年数が短い割には、画風がエライ勢いで変わるんだな。

もっともピカソだって、キリコだって、同一人物と思えないほど画風の変遷がある訳だから、
セガンティーニの画風の変遷も「だからそれがどうした」レベルの問題なんだけれど・・・

しかしアレだ!
分割主義がどうした・・・とか、
象徴主義がアレだ・・・とか、
そういう大事な話は、まっとうな美術ブログにお任せして、
ここではいつも通りに、重箱の隅をつつくようなアバウトに詳細チックな紹介をしてみようと思うんだな。





35「水を飲む茶色い雌牛」
近景(手前)の丸太の断面に注目なんだな。
断面は陰なのに、様々な色があるんだな。
同様に、丸太の影になる部分の草の緑色も見事なんだな。

牛の陰と影も、色がバッチグーなんだな。
光でない部分の発色が、なんともOK!なんだな。



36「死んだノロジカ」
14「白いガチョウ」
03「死んだカモシカ」
24「死んだ英雄」

セガンティーニ展は、どうやら死体好きなんだな。
(白いガチョウは、ガチョウの死体を描いている)
ちょっと違うような気がしないわけでもないけれど、たぶんそうなんだな。

正確に言えば、セガンティーニ展は「生と死」を考えすぎたんだな。
いわゆる「メメントモリ」を突き詰め過ぎたんだな。

しかもアレだ!
「死んだシリーズ」のように、死んでいることが分かりやすいバージョンばかりでなく、
28「森からの帰途」のように、材木の根っこをソリに乗せて運んでいる画題でさえ「生と死」を暗喩している・・・らしいんだな。

生きている時から、そんなに死と向い合っていたら、精神的に参ってしまうと思うのだけれど・・・違うか!



46「虚栄」
少女の肌の色が、生気がないんだな。
いかにも死体チックな肌色なんだな。

画面の左手前の活き活きとした赤とピンクの小さな花と比べると、
その生命力の少なさは、イカンともしがたいんだな。
もっともセガンティーニは死体好きだから、それはそれで良いのかもしれないけれど・・・違うか!

遠景の若草の中に「白い帯状」があるだけれど、
たぶん・・・この白い帯状は、ピクニックしている8人の人間なんだな。
8人の人間と比べると、
その生命力の少なさは・・・以下同文。


それからトカゲみたいな蛇(説明板では「龍みたいな蛇」となっていた)が、少女の真下にいるんだな。
トカゲ蛇は、口を開けて少女の生を飲み込もうと、待ち受けているんだな。
なんというか・・・美人薄幸なんだな。



32「アルプスの真昼」
41「春の牧草地」
46「虚栄」

セガンティーニは僕と同じで、重箱の隅が好きだったんだな・・・たぶん。
「アルプスの真昼」では、画面左上の鳥2羽、
「春の牧草地」では、画面中程左側の人物(1人)と、画面中程右側の人物(1人)
「虚栄」では、右上の若草の中の白い帯状

画面全体から見れば、点くらいにしか思えない小さな描写なんだけれど、
「山椒は小粒でピリッと辛い」で、画面を引き締める役目を担っているんだな。

要は、重箱の隅が好きだということなんだな・・・違うか!



55「ムオタス・ムラーユのパノラマ」
それからジョヴァンニ・ジャコメッティという、アルベルト・ジャコメッティのお父さんとして知られている画家の作品が、参考作品として展示されているんだけれど・・・
これが見事にセガンティーニの引き立て役になっているんだな。
ジョヴァンニ・ジャコメッティはタッチが荒いんだ。

セガンティーニの作品だけを見ていると、タッチがそれほどアレだとは思わないのだけれど、
ジョヴァンニ・ジャコメッティと見比べると、タッチの差がものすごくアレ!だと理解できるんだな。


そんな訳で、善は急げ・電話も急げ・セガンティーニ展もっと急げ(12月27日まで)


セガンティーニ展@東郷青児美術館の混み具合は・・・
http://quipara.ti-da.net/e3830412.html

お勧めの美術ブログ「弐代目・青い日記帳」
http://bluediary2.jugem.jp/?eid=2709

関連記事