2022年09月25日
国立能楽堂で開催中の企画展「秋の風 能楽と日本美術」を見てきた
4年ぶりにブログを書いている。
新鮮だ。
いろんな意味で新鮮だ。
国立能楽堂で開催中の企画展「秋の風 能楽と日本美術」を見てきた。
同展の趣旨は、タイトルに「秋」ことからも分かるように、秋を感じさせる植物等をテーマにした作品を展示することです。
また展覧会の構成は、秋に関するワード別になっています。
具体的には「琳派と秋」「秋草」「武蔵野」「秋の虫」「萩」「葛」「薄・芒」「菊」「撫子」「紅葉」ごとに、関連する作品がまとめて展示してあります。
同展は、能楽堂の資料室に展示されています。
そして資料室は、正面玄関からではなく、脇にある事務室入り口から入ります。
気を付けないと、関係ないところに行ってしまいます。
目当て作品は10月2日まで展示されている「芒野図屏風 鈴木其一作」。
「芒」は「すすき」と読む。
原っぱなどで見かける、あのススキと同じ意味だ。
「芒野図屏風」は、ススキを屏風に描きました・・・くらいの意味だ。
ちなみに「芒」の草かんむりの下は、「亡」ではないらしい。
ややこしいなぁ・・・と思うのは僕だけかな。
芒野図屏風は芒を描いた作品だから「薄・芒」コーナーにあります。
同コーナーには「薄蒔絵文箱」や「薄蒔絵盃 」が展示してあります。
※蒔絵はマキエと読み、漆工芸の一種です。
芒野図屏風は、一曲半双の画面いっぱいに(正確には画面の7割くらいに)、ピョンピョンと立っている芒の束を描いた作品だ。
芒の密集具合を描き分けることで、画面の空白部分が左右に流れている。
風の通り道が、左右に揺れているようだ。
「芒野図屏風」以外では、印籠がお勧めだ。
印籠と言えば、「水戸黄門の印籠」で印籠を知った人が多いかと思う。
そしてテレビで水戸黄門の印籠しか見たことが無い人が多いのではないかと思う。
同展には印籠が、〇個展示してある。
〇には数字が入るのだけれど、メモした紙を紛失してしまったから、分からなくなってしまった。
6個~8個だったと記憶するけれど・・・。
印籠の実物を見たことが無い人は、ぜひ見に行くべきだ。
印籠の実物を見なかったとしても人生には何の影響もないけれど、それでも見に行った方が良い。
ちなみに同展は無料!
入り口でスタッフさんに「企画展を見に来ました」と言えば、それでOKだ。
「芒野図屏風」の展示は10月2日までだから、善は急げ・展覧会はもっと急げ!
国立能楽堂・資料室URL
https://www.ntj.jac.go.jp/nou/event/7029.html
新鮮だ。
いろんな意味で新鮮だ。
国立能楽堂で開催中の企画展「秋の風 能楽と日本美術」を見てきた。
同展の趣旨は、タイトルに「秋」ことからも分かるように、秋を感じさせる植物等をテーマにした作品を展示することです。
また展覧会の構成は、秋に関するワード別になっています。
具体的には「琳派と秋」「秋草」「武蔵野」「秋の虫」「萩」「葛」「薄・芒」「菊」「撫子」「紅葉」ごとに、関連する作品がまとめて展示してあります。
同展は、能楽堂の資料室に展示されています。
そして資料室は、正面玄関からではなく、脇にある事務室入り口から入ります。
気を付けないと、関係ないところに行ってしまいます。
目当て作品は10月2日まで展示されている「芒野図屏風 鈴木其一作」。
「芒」は「すすき」と読む。
原っぱなどで見かける、あのススキと同じ意味だ。
「芒野図屏風」は、ススキを屏風に描きました・・・くらいの意味だ。
ちなみに「芒」の草かんむりの下は、「亡」ではないらしい。
ややこしいなぁ・・・と思うのは僕だけかな。
芒野図屏風は芒を描いた作品だから「薄・芒」コーナーにあります。
同コーナーには「薄蒔絵文箱」や「薄蒔絵盃 」が展示してあります。
※蒔絵はマキエと読み、漆工芸の一種です。
芒野図屏風は、一曲半双の画面いっぱいに(正確には画面の7割くらいに)、ピョンピョンと立っている芒の束を描いた作品だ。
芒の密集具合を描き分けることで、画面の空白部分が左右に流れている。
風の通り道が、左右に揺れているようだ。
「芒野図屏風」以外では、印籠がお勧めだ。
印籠と言えば、「水戸黄門の印籠」で印籠を知った人が多いかと思う。
そしてテレビで水戸黄門の印籠しか見たことが無い人が多いのではないかと思う。
同展には印籠が、〇個展示してある。
〇には数字が入るのだけれど、メモした紙を紛失してしまったから、分からなくなってしまった。
6個~8個だったと記憶するけれど・・・。
印籠の実物を見たことが無い人は、ぜひ見に行くべきだ。
印籠の実物を見なかったとしても人生には何の影響もないけれど、それでも見に行った方が良い。
ちなみに同展は無料!
入り口でスタッフさんに「企画展を見に来ました」と言えば、それでOKだ。
「芒野図屏風」の展示は10月2日までだから、善は急げ・展覧会はもっと急げ!
国立能楽堂・資料室URL
https://www.ntj.jac.go.jp/nou/event/7029.html
2018年11月06日
国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展 -バロックの誕生」を観てきた
国立西洋美術館で開催中の「ルーベンス展 -バロックの誕生」を観てきた。
バロックは好きだなぁ。
何が良いって、ゴテゴテ満載なのが良いよね!
女性はアクセサリーをゴテゴテと身に着けているし、
男性も装飾品をゴテゴテと身に着けていることが多い。
そして動作は、大げさ。
動物(例えば馬)も、タテガミの毛の1本1本が細かく描かれていたり、
建築物(特に柱)の装飾は、これでもかぁ!これでもかぁ!!!・・・と言わんばかりの勢いで、盛ってある。
フェルメールが引き算なら、
ルーベンスは足し算だ。
それも「ゴテゴテに盛った大盛。
それからローマ神話やギリシャ神話、聖書に由来する主題が多いのも、僕的には好ましい限り。
人間臭い神様たちがいっぱいいて、見ていて飽きない。
ルーベンス展の直前に、ムンク展を見たんだけれど・・・
ムンクは重かった。
生と死と性がムンクのメインテーマだから、重い。
とにかく重い。
しかもムンクの場合は、
静物画に描かれる暗示的なメメントモリじゃなくて、
直球ストレートどまんなかなメメントモリだから、ひたすら重いんだ。
ムンクの後にルーベンスを見ると、落ち着くねぇ。
「石柱の装飾から噴き出している水流」などの、ある意味「どうでも良いこと」を丁寧に描いているから、落ち着くんだよね。
しかも工房で大量生産しているから、どこかで見たシーンの繰り返し(水戸黄門的安心感)になるんだよね。
なにはともあれ、善は急げ・電話も急げ・ルーベンス展はもっと急げ!
2018年11月03日
「ムンク展 共鳴する魂の叫び」では、湖池屋のヒーおばあちゃんが叫んでいる
東京都美術館で開催中の「ムンク展 共鳴する魂の叫び」を観てきた。
「共鳴する叫び」って、アレだね。
誰と誰が共鳴するんだろう・・・と本気で考え込んでしまう。
少なくとも、僕でないことは確かだ。
それとも犬が遠吠えすると、ほかの犬が遠吠えするようなものかな。
美術館的には「ムンクと、鑑賞者であるあなたが共鳴」することを狙っているのだろうけれど。
作品とは共鳴しなかったけれど、ショップの「湖池屋 カラムーチョ」と「湖池屋 スッパムーチョ」には激しく共鳴してしまった。
詳細は、湖池屋のプレスリリースにお任せするとして・・・。
https://koikeya.co.jp/news/detail/959.html
見どころは、パッケージの裏だ。
表は、ヒーおばあちゃんが「叫びポーズ」をしている場面なんだが、裏は「叫びポーズを後ろからみた図」になっているんだ。
絵画には裏面は無いけれど(祭壇画などの例外はあるが)、立体物なら裏面がある・・・と言うことで、叫びポーズをしているヒーばあちゃんの後ろ姿が描かれている訳だ。
芸が細かいなぁ!
ちなみにレジ前の列がすごかった。
ショップの外にまで、列は並んでいた。
「ここが最後尾です」という看板を持つスタッフさんまでいた。
平日の昼間なのに。
話を会場に戻すと・・・、
展示の目玉は「叫び」と、「マドンナ」だ。
ムンクの代名詞的な作品だ。
両作品については、いろんな人がブログで取り上げているので、僕はパスしよう。
僕的には、会場の第1コーナーのタイトル「ムンクとは誰か」が、ナイスなキャッチだと思う。
第1コーナーでは、自画像ばかり12点が展示されている。
「モデルになってくれる友達はいなかったのでしょうか?」、あるいは「ナルシストなのでしょうか?」と思わず突っ込みたくなるほどだ。
No33「幻影」
描かれているのは「ケルビム状態」の人物。
あるいは「入水自殺直前の、水面より首から上だけがかろうじて残っている」と言いたくなるような状態の人物。
「幻影」に限らず、ムンクの作品は死を連想させる作品が多い。
No37「瞳、声」
描かれているのは、進撃の巨人みたいな人物。林をバックに、顔の上半分だけが描かれている。
地面の下には、巨人の巨体が隠されているんだろう・・・たぶん。
ちなみにNo36「夏の夜、声」は、巨人から人間に戻った直後の「女型の巨人」が、林をバックに描かれている。
No39「浜辺にいる二人の女」、No40「浜辺にいる二人の女」
両作品は、同タイトルで、同一の主題を扱っている。
海辺にたたずみ、これから入水自殺しようとしている女性と、その脇にチョコンと存在する(死神のような)女性が描かれている。
主題としてのメメントモリは好きだけれど、「滋賀友達」じゃなくて「死が友達」は微妙だね。
No83「ダニエル・ヤコプソン」
左足のかかとの上あたりに、馬の蹄が描かれている。
馬の蹄は「悪魔と手を結ぶ」ことを意味するらしい。
そうなのか、知らなかった(-_-;)
ヨーロッパの常識は僕の常識とは異なるから、知識がないと絵画は理解できないねぇ(-_-;)
※(作品番号は忘れた)赤毛を扱った作品のキャプションに「赤毛は原罪を連想させる」と書いてあった。
これも、知識がないと理解できないパターンだ。
知らないと、「赤毛の女性が描かれた作品ですね」で終わってしまう。
そして僕は、「赤毛のアン」がなぜ、疎外されるのかも理解できた。
No98「犬の顔」
この作品を見て、気が付いた。
動物がほとんどいない。
生や死、あるいは性のことばかり描いている象徴主義の作家としては、当然のことかもしれないけれど。
この犬は、何度見ても笑っちゃうんだ。
「目の周りを隈取した男性」と勘違いするような犬なんだ。
生死や性の中で、おもわず「ほっこり」する作品なんだ。
いろんな意味で、お勧めだね。
善は急げ・電話も急げ・ムンク展はもっと急げ!
「共鳴する叫び」って、アレだね。
誰と誰が共鳴するんだろう・・・と本気で考え込んでしまう。
少なくとも、僕でないことは確かだ。
それとも犬が遠吠えすると、ほかの犬が遠吠えするようなものかな。
美術館的には「ムンクと、鑑賞者であるあなたが共鳴」することを狙っているのだろうけれど。
作品とは共鳴しなかったけれど、ショップの「湖池屋 カラムーチョ」と「湖池屋 スッパムーチョ」には激しく共鳴してしまった。
詳細は、湖池屋のプレスリリースにお任せするとして・・・。
https://koikeya.co.jp/news/detail/959.html
見どころは、パッケージの裏だ。
表は、ヒーおばあちゃんが「叫びポーズ」をしている場面なんだが、裏は「叫びポーズを後ろからみた図」になっているんだ。
絵画には裏面は無いけれど(祭壇画などの例外はあるが)、立体物なら裏面がある・・・と言うことで、叫びポーズをしているヒーばあちゃんの後ろ姿が描かれている訳だ。
芸が細かいなぁ!
ちなみにレジ前の列がすごかった。
ショップの外にまで、列は並んでいた。
「ここが最後尾です」という看板を持つスタッフさんまでいた。
平日の昼間なのに。
話を会場に戻すと・・・、
展示の目玉は「叫び」と、「マドンナ」だ。
ムンクの代名詞的な作品だ。
両作品については、いろんな人がブログで取り上げているので、僕はパスしよう。
僕的には、会場の第1コーナーのタイトル「ムンクとは誰か」が、ナイスなキャッチだと思う。
第1コーナーでは、自画像ばかり12点が展示されている。
「モデルになってくれる友達はいなかったのでしょうか?」、あるいは「ナルシストなのでしょうか?」と思わず突っ込みたくなるほどだ。
No33「幻影」
描かれているのは「ケルビム状態」の人物。
あるいは「入水自殺直前の、水面より首から上だけがかろうじて残っている」と言いたくなるような状態の人物。
「幻影」に限らず、ムンクの作品は死を連想させる作品が多い。
No37「瞳、声」
描かれているのは、進撃の巨人みたいな人物。林をバックに、顔の上半分だけが描かれている。
地面の下には、巨人の巨体が隠されているんだろう・・・たぶん。
ちなみにNo36「夏の夜、声」は、巨人から人間に戻った直後の「女型の巨人」が、林をバックに描かれている。
No39「浜辺にいる二人の女」、No40「浜辺にいる二人の女」
両作品は、同タイトルで、同一の主題を扱っている。
海辺にたたずみ、これから入水自殺しようとしている女性と、その脇にチョコンと存在する(死神のような)女性が描かれている。
主題としてのメメントモリは好きだけれど、「滋賀友達」じゃなくて「死が友達」は微妙だね。
No83「ダニエル・ヤコプソン」
左足のかかとの上あたりに、馬の蹄が描かれている。
馬の蹄は「悪魔と手を結ぶ」ことを意味するらしい。
そうなのか、知らなかった(-_-;)
ヨーロッパの常識は僕の常識とは異なるから、知識がないと絵画は理解できないねぇ(-_-;)
※(作品番号は忘れた)赤毛を扱った作品のキャプションに「赤毛は原罪を連想させる」と書いてあった。
これも、知識がないと理解できないパターンだ。
知らないと、「赤毛の女性が描かれた作品ですね」で終わってしまう。
そして僕は、「赤毛のアン」がなぜ、疎外されるのかも理解できた。
No98「犬の顔」
この作品を見て、気が付いた。
動物がほとんどいない。
生や死、あるいは性のことばかり描いている象徴主義の作家としては、当然のことかもしれないけれど。
この犬は、何度見ても笑っちゃうんだ。
「目の周りを隈取した男性」と勘違いするような犬なんだ。
生死や性の中で、おもわず「ほっこり」する作品なんだ。
いろんな意味で、お勧めだね。
善は急げ・電話も急げ・ムンク展はもっと急げ!
2018年11月02日
平櫛田中邸で開催中の「XYLOLOGY 木学 01 起源と起点」展を観てきた
平櫛田中邸で開催中の「XYLOLOGY 木学 01 起源と起点」展を観てきた。
※平櫛田中は、ヒラグシデンチュウと読む。ヒラグシタナカではないんだな・・・念のため。
「XYLOLOGY 木学 01 起源と起点」展は、気鋭の作家さん15人による展覧会・・・ということなんだけれど、僕は彫刻関係は全く分からない。
(ちなみに彫刻以外も、詳しくない)
かろうじて、お名前を知っていたのは前原冬樹さんのみ(-_-;)
開館と同時に入ったこともあって、館内にいたのは関係者というか、出展者の皆さんのみ。
金巻芳俊さんという作家さんが話しかけてくれて、色々とお話を伺うことができた。
美術の世界って、面白いなぁ。
・・・と言いながら、写真は前原冬樹さんでもなく、前原冬樹さんでもなく、灰原愛さんの作品なんだけれど(-_-;)
平櫛田中邸には、初めて入った。
(イベントがないと、入れないので)
アトリエの天井の一部は、明かり窓風になっている。
自然光を安定的に得るため、北向の天窓を取り付けたらしい。
なので、アトリエ内は、とっても明るい。
そして明るいから(いや、明るくなくても)、建物の老化が目立つ。
なんで、こんなにボロイのかねぇ。
所有者が手をこまねいている訳ではないだろう。
もしかして、平櫛田中邸は再建築不可物件なんだろうか。
僕が気にしたところで何がどうなるわけでもないけれど・・・気になる(-_-;)
※平櫛田中は、ヒラグシデンチュウと読む。ヒラグシタナカではないんだな・・・念のため。
「XYLOLOGY 木学 01 起源と起点」展は、気鋭の作家さん15人による展覧会・・・ということなんだけれど、僕は彫刻関係は全く分からない。
(ちなみに彫刻以外も、詳しくない)
かろうじて、お名前を知っていたのは前原冬樹さんのみ(-_-;)
開館と同時に入ったこともあって、館内にいたのは関係者というか、出展者の皆さんのみ。
金巻芳俊さんという作家さんが話しかけてくれて、色々とお話を伺うことができた。
美術の世界って、面白いなぁ。
・・・と言いながら、写真は前原冬樹さんでもなく、前原冬樹さんでもなく、灰原愛さんの作品なんだけれど(-_-;)
平櫛田中邸には、初めて入った。
(イベントがないと、入れないので)
アトリエの天井の一部は、明かり窓風になっている。
自然光を安定的に得るため、北向の天窓を取り付けたらしい。
なので、アトリエ内は、とっても明るい。
そして明るいから(いや、明るくなくても)、建物の老化が目立つ。
なんで、こんなにボロイのかねぇ。
所有者が手をこまねいている訳ではないだろう。
もしかして、平櫛田中邸は再建築不可物件なんだろうか。
僕が気にしたところで何がどうなるわけでもないけれど・・・気になる(-_-;)
2018年10月27日
「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展は空いている・・・中身がアレだからね
東博で開催中の「京都 大報恩寺 快慶・定慶のみほとけ」展に行ってきた。
混んでいるだろうなぁ・・・と予測していたけれど、ガラガラだった(-_-;) お隣のマルセル・デュシャン展の方が混んでいた。
快慶作の「十大弟子立像」と、肥後定慶作の「六観音菩薩像」が目玉展示なんだけれど・・・。
僕の目がおかしいのかなぁ、それとも過労で脳みそがお休みだったのかなぁ(-_-;)
慶派のほとけさまって、のべ~っとしていたかなぁ。
躍動感も、量感も、リアル感も、何も感じられないんだけれど(-_-;)
信仰の対象として拝む気にはなれないし、美術品としても見れない。
長浜観音ハウスにいらっしゃる泥臭い仏さまの方が、はるかに良いなぁ(僕的には)。
2018年10月27日
「マルセル・デュシャンと日本美術」展はそれなりに混んでいた
「マルセル・デュシャンと日本美術」展に行ってきた。
平日の昼間に行ったのだけれど、思いの外、混んでいた。
通勤時間帯の電車のように混んでいる訳ではなかったけれど、「平日の昼間に、マルセル・デュシャンを見に来るような暇人は多くないよ」と勝手にタカをくくっていた僕には、驚きの混み具合だった。
それと展示作品の大半が撮影OKなのも、驚きだった。
>マルセル・デュシャンさん
舐めててゴメンナサイ。いまでも人気ある作家だったんですね(-_-;)
展覧会は、第1部「デュシャン 人と作品」と、第2部「デュシャンの向こうに日本が見える。」で構成されている。
第1部では、印象主義から象徴主義からフォーヴィスムからキュビズムへと、時代の流れに沿った作品から、「泉」や「大ガラス」に至るまでが展示されている。
マルセル・デュシャンと言えば、誰もが連想するのが「泉」だ。
「泉」は男性用小便器を横に倒した作品だ。
あるいは
「泉」は男性用小便器を横に倒した「だけの」作品だ。
または
「泉」は男性用小便器を横に倒して、絶妙なネーミングをした作品だ。
「泉」が提示する問題は、
「オリジナル作品であることは重要なの?コピー作品は、イマイチなの?」
「題名は、とっても大事!言葉がイメージを想起させるから」
「アートの定義を変更しよう!」と言ったところ。
そして今回の展示で、絶妙だなぁ・・・というより、笑っちゃうなぁ!といたく感じたのが、展示されている「泉」はレプリカだということ。
ちなみに「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(通称・大ガラス)」も、「自転車の車輪」も、「瓶乾燥機」も、デュシャンらしい作品はレプリカだ。
美術館にレプリカが展示してあれば、いつもなら「はぁ?なんで複製品を展示しているのよ!本物を展示しなさいよ(怒)」となるところだけれど、デュシャンの場合は「そりゃそうだよね」で理解できてしまう。
デュシャンが、オリジナル作品の重要性を否定している訳だから、鑑賞者もいオリジナルにこだわる必要が無い訳だ。
そして楽しみなのが第2部。
日本とのかかわりを展示しているんだが、東洲斎写楽が6枚も展示されているんだ。
しかもきれいな刷りの版だ。
これは、人体が見たままではなく、記号化されて描かれていることがデュシャンとの共通点だ。
また「伝千利休作 竹一重切花入 銘 園城寺」も展示されている。
これは、日用品を芸術品に昇華させたことがデュシャンとの共通点だ。
あるいは「平治物語絵巻」。
これは、時間が「同時進行的に進む」捉え方がデュシャンとの共通点だ。
なにはともあれ、「マルセル・デュシャンと日本美術」展はお勧めだ。
平日の昼間に行ったのだけれど、思いの外、混んでいた。
通勤時間帯の電車のように混んでいる訳ではなかったけれど、「平日の昼間に、マルセル・デュシャンを見に来るような暇人は多くないよ」と勝手にタカをくくっていた僕には、驚きの混み具合だった。
それと展示作品の大半が撮影OKなのも、驚きだった。
>マルセル・デュシャンさん
舐めててゴメンナサイ。いまでも人気ある作家だったんですね(-_-;)
展覧会は、第1部「デュシャン 人と作品」と、第2部「デュシャンの向こうに日本が見える。」で構成されている。
第1部では、印象主義から象徴主義からフォーヴィスムからキュビズムへと、時代の流れに沿った作品から、「泉」や「大ガラス」に至るまでが展示されている。
マルセル・デュシャンと言えば、誰もが連想するのが「泉」だ。
「泉」は男性用小便器を横に倒した作品だ。
あるいは
「泉」は男性用小便器を横に倒した「だけの」作品だ。
または
「泉」は男性用小便器を横に倒して、絶妙なネーミングをした作品だ。
「泉」が提示する問題は、
「オリジナル作品であることは重要なの?コピー作品は、イマイチなの?」
「題名は、とっても大事!言葉がイメージを想起させるから」
「アートの定義を変更しよう!」と言ったところ。
そして今回の展示で、絶妙だなぁ・・・というより、笑っちゃうなぁ!といたく感じたのが、展示されている「泉」はレプリカだということ。
ちなみに「彼女の独身者たちによって裸にされた花嫁、さえも(通称・大ガラス)」も、「自転車の車輪」も、「瓶乾燥機」も、デュシャンらしい作品はレプリカだ。
美術館にレプリカが展示してあれば、いつもなら「はぁ?なんで複製品を展示しているのよ!本物を展示しなさいよ(怒)」となるところだけれど、デュシャンの場合は「そりゃそうだよね」で理解できてしまう。
デュシャンが、オリジナル作品の重要性を否定している訳だから、鑑賞者もいオリジナルにこだわる必要が無い訳だ。
そして楽しみなのが第2部。
日本とのかかわりを展示しているんだが、東洲斎写楽が6枚も展示されているんだ。
しかもきれいな刷りの版だ。
これは、人体が見たままではなく、記号化されて描かれていることがデュシャンとの共通点だ。
また「伝千利休作 竹一重切花入 銘 園城寺」も展示されている。
これは、日用品を芸術品に昇華させたことがデュシャンとの共通点だ。
あるいは「平治物語絵巻」。
これは、時間が「同時進行的に進む」捉え方がデュシャンとの共通点だ。
なにはともあれ、「マルセル・デュシャンと日本美術」展はお勧めだ。
2018年10月24日
「世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」登録記念 キリシタンの遺品」展@東博に行ってきた
「世界文化遺産「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」登録記念 キリシタンの遺品」展という長いタイトルの展覧会に行ってきた。
※以前は「隠れキリシタン」と呼んでいたけれど、現在ではカトリックに再合流した人を「潜伏キリシタン」、再合流しなかった人を「隠れキリシタン」と呼び分けている。
同展での目玉は(僕的には)踏み絵。7種類の踏み絵(板踏み絵4枚・真鍮踏み絵3枚)が展示されています。
日本人なら誰でも知っている踏み絵は、実は現存数が少ない。
※ガリバー旅行記にも踏み絵は出てくるから、踏み絵は日本だけでなく、世界的に有名なのかもしれない。
現存数が少ないから、見る機会はあまりない。僕も今回で2回目。(1回目は明大博物館で見た。この時は真鍮踏み絵のみだった)。
踏み絵は知識として知っているけれど、見たことがないという人はぜひ、東博に行かれることをお勧めします。
同展のサイト(東博)
https://www.tnm.jp/modules/r_free_page/index.php?id=1935&fbclid=IwAR0nq3CKwCza31tmBAj2UVKYVfw0k6SpY5PuivLCIfzs80nJiL966ZvWpgQ
2018年10月22日
びわこ長浜カンノンハウスに出張されている仏さまは、竹生島・宝厳寺の聖観音立像さま
ただいま、びわこ長浜カンノンハウスに出張されている仏さまは、竹生島・宝厳寺の聖観音立像さま。
聖観音立像さまは、(僕の記憶が正しければ)カンノンハウスに来られるのは2回目で、芸大美術館で開催された観音展にも展示されたはず。
お忙しいホトケ様だねぇ。
カンノンハウスのスタッフさんは良い人が多いのだけれど、長浜に詳しくない人も多い(←学芸員さんじゃないから、詳しくなくて当然)。
お参りしていると声を掛けてこられるから、「このホトケさんは、どの字(アザ)から来ゃぁはったんですか?」と質問すると、「アザ?アザですか?…(沈黙)」なんてことがある。
まぁ、致し方ないことではあるのだけれど(;^_^A
2018年10月22日
横山崋山って、渡辺崋山と横山大観を足して割った・・・人ではなかった
東京ステーションギャラリーで開催中の「横山華山」展に行ってきた。
横山大観は知っている。
渡辺崋山も知っている。
だけど横山崋山は知らない・・・と言う人が多いんじゃないかな。
僕は、展覧会に行くまで知らなかった。
横山華山は数十年前までは、有名な画家だったらしい。
数十年前と言えば、僕が生まれた頃だな。
それじゃ、僕が知らなくても当然かな。
横山華山の父親が曽我蕭白と親交があったため、横山華山の画風には曽我蕭白の影響が大きい。
僕のような素人が観ても分かるくらいに、影響が大きい。
入ってすぐの場所に曽我蕭白の「蝦蟇仙人図」と、横山華山の「蝦蟇仙人図」が展示してある。
構図は全く同じだが、描き方は微妙に異なる。
曽我蕭白の仙人の人体図は「そのポーズは仙人なら可能かもしれないけれど、一般人には難しいかも」というレベル。
それに対して渡辺崋山の人体図は「仙人じゃなくても、一般人でも可能」なレベルにしていて、代わりに蛙が「一本足で立っている」という「仙人レベルの蛙なら可能かもしれないけれど、一般的な蛙にはむつかしいかも」というレベルになっている。
動物の描写は本当にリアルで、No48「虎図」は、毛のモフモフ感や、毛が立っているさまが、立体的に伝わってくる。
No58「桃錦雉・蕣花猫図」も同様に、猫の描写が本当にリアル。
No88「紅花屏風」には、220人が描かれているらしい。
数えようかと思ったけれど、50人くらいでギブアップした。
屋内の掛け軸や伏見人形、書類など写実がとても細かいので双眼鏡の類は必須。
伏見人形などはとても小さいので、肉眼では見えないと思う。(少なくとも僕には無理)
No119「蝶々踊図巻」は、実際に起こった事件(というか、自然発生的なイベント)を描いた作品。
空傘・大根・カタツムリ・犬・猫・石灯篭・カエルなどの被り物で踊っている人々を描いている。
ヨーロッパのカーニバルに近いかな。
横山崋山展は11月11日まで。
2018年10月22日
出光美術館で開催中の「仙厓礼賛」展はお勧め!
出光美術館で開催中の「仙厓礼賛」展を観てきた。
メチャ安いチケットを入手したから行ってきた訳なんだけれど、同展は予想をはるかに上回る企画だった。
ご存知の方はご存知の通り、そうでない方はこれを機に知っていただければ幸いなんだけれど、
仙厓義梵(せんがい ぎぼん)は、江戸時代の僧侶にして絵師。
ゆるい絵を得意としているけれど、絵の意図するところは禅の教えそのもの。
このギャップが何ともアレだ。
ちなみに超リアルな絵も得意としている。
仙厓を「アマチュア絵師」としている禅画のテキストもあるけれど、それは間違いだ。
それで同展の何が良かったかと言えば、すべてのキャプションに賛が書いてあること。
※賛=絵に書かれた文章などのこと
仙厓の禅画に描かれた賛の大半は、絵の意図が書いてある。
だから賛が読めると、絵の意図が分かる訳だ。
例えば植物の芭蕉と、カエルが描いてある「No81 芭蕉蛙画賛」には、「古池や 芭蕉飛こむ 水の音」と書いてある。
松尾芭蕉のアレという訳だ。
あるいは「No82 竜虎画賛」には、「龍も虎も、何を描いたか、理解してもらえなかった」と書いてある。
たしかに虎はネコみたいだし、龍に至っては「未知の動物」だから、理解しろという方が無理だ。
画賛をメモするのを忘れてしまったけれど
No80の「トド画賛」は、いろんな意味で凄い。
海獣のトドを描いているんだが、トドを主題とすることも凄いし、トドに見えないことも凄い。
「仙厓礼賛」展は、マジでお勧めです。
2018年10月04日
藤田嗣治展は、猫がいっぱいだった!
東京都微絨掴んで開催中の藤田嗣治展に行ってきた。
開催中と言っても、10月8日で終了になるんだけれど。
藤田と言えば、乳白色と動物(特に猫)が代名詞な訳だけれど、同展でも動物がいっぱいいた。
もちろん、猫が大半だ。
藤田の乳白色は、「赤ちゃん用の粉ミルクを顔料に混ぜて作った」と言われるけれど、確かにそんな感じだ。
粉ミルクのような色だ(たぶん)。
たぶん・・・というのはこういうことだ。
藤田の乳白色は今でも鮮明に脳裏に焼き付いているけれど、粉ミルクの色はうろ覚えなんだ。
乳白色については、いったん横に置いといて・・・藤田と言えば猫だ!
中でもNo36「猫」という作品は、猫そのものが主題だ。
脇役じゃなくて、猫が主役。
というか、猫しか登場しない。
この作品のすごいところは、猫の周りの空間が歪んでいることだ。
背景の描き方がマンガチックというだけのことなんだけれど、空間が波動しているように見えるんだ。
もちろん藤田がそんなことを意図していたとは思わないけれど、僕には「空間の歪み」と見えるんだな。
バロックだな。(バロック=歪んだ真珠)
ちなみにNo75「争闘(猫)」も猫しか登場しないけれど、コチラの空間は歪んでいない。
その代わり、猫そのものが捻じれている。
またNo83「私の夢」にも猫が登場するんだが、「私の夢」はテーマが仏教の涅槃なんだな。
※藤田がキリスト教の洗礼を受けたのは、1959年。
「私の夢」は1947年作なので、日本にいたころの作品。
「私の夢」では、横たわっている女性の周りに多数の猫が取り囲んでいる。
これは、お釈迦様がなくなった時に、大勢の動物がお釈迦様を囲んだ涅槃図と構図が一緒なんだな。
(涅槃図では、動物は脇役だけれど…)
それから沖縄好きとしては、No72「客人」と、No73「孫」が外せない。
どちらも沖縄を題材にした作品だ。
客人の手前に描かれている琉球漆器の赤色がや、孫の遠景に描かれている城(ぐすく)が、沖縄らしくて良い!
今週末に時間がある人は、ぜひ見に行かれることをお勧めします。
2018年10月01日
避妊済の猫は耳カットしてあるよ
久々に管理画面を開いてみた。
たまには、ブログをアップしてみようと思い立って、開いてみた。
猫好きの世界では常識だけれど、世間一般では「路地猫」という言葉は常識ではないらしい。
野良猫と路地猫は全く別物なんだけれど、世間一般的には区別がつかないらしい。
まぁ・・・そんなもんだな。
僕も、自分の世界以外については、知らないことが多いからね。
という訳で、路地猫の多くが避妊手術を受けていることは常識でなく、
避妊手術を受けた猫は、耳カットされることも常識ではないようだ。
ちょっとわかりづらいけれど・・・。
2匹は、豊島園を根城にしている路地猫。
手術済なので、右耳の先端にV字カットが入っている。
たまには、ブログをアップしてみようと思い立って、開いてみた。
猫好きの世界では常識だけれど、世間一般では「路地猫」という言葉は常識ではないらしい。
野良猫と路地猫は全く別物なんだけれど、世間一般的には区別がつかないらしい。
まぁ・・・そんなもんだな。
僕も、自分の世界以外については、知らないことが多いからね。
という訳で、路地猫の多くが避妊手術を受けていることは常識でなく、
避妊手術を受けた猫は、耳カットされることも常識ではないようだ。
ちょっとわかりづらいけれど・・・。
2匹は、豊島園を根城にしている路地猫。
手術済なので、右耳の先端にV字カットが入っている。
2018年02月14日
仁和寺・ブリューゲル
自分自身への覚書。
トーハクの「仁和寺と御室派のみほとけ」展と
トビのブリューゲル展に行ってきた。
仁和寺:
多数の仏さまがトーハクに出張されていて、それはそれでとてもよかったのだけれど・・・。
僕的には、方丈記そのものの展示が一番のお勧め。
仁和寺と言えば方丈記ということで、方丈記が展示されていた。
方丈記はホントに走り書き。これぞエッセイと言わんばかりの殴り書き(いろんな意味で)。
きれいとはとてもじゃないけれど言い難い筆跡に、親近感を感じてしまった次第。
ブリューゲル:
ブリューゲル一族に限った話ではないけれど、向こうは名前がややこしい。
親子で同じ名前ということが良くあるから、とても分かりにくい。
ブリューゲル一族にしても
ピーテル・ブリューゲル1世(父)
ピーテル・ブリューゲル2世(長男)
ヤン・ブリューゲル1世(次男)
ヤン・ブリューゲル2世(次男の子)
ヤン・ピーテル・ブリューゲル(次男の孫)
といった感じ。
一族の娘と結婚して、ブリューゲル一族に連なることになったダーフィット・テニールス2世にしても、
父親はダーフィット・テニールス1世
息子はダーフィット・テニールス3世
といった感じ。
という訳で作品の横には
父or子or孫orひ孫がチェックしてあって、とっても便利。
これがなかったら、ワケワカメになっているハズ。
ちなみに展示作品は、農村風景・静物画が多く、ヒエロニムス・ボス風の幻想的な作品はほとんどない。
幻想的な作品がないのは、ちょっと残念(-_-;)
トーハクの「仁和寺と御室派のみほとけ」展と
トビのブリューゲル展に行ってきた。
仁和寺:
多数の仏さまがトーハクに出張されていて、それはそれでとてもよかったのだけれど・・・。
僕的には、方丈記そのものの展示が一番のお勧め。
仁和寺と言えば方丈記ということで、方丈記が展示されていた。
方丈記はホントに走り書き。これぞエッセイと言わんばかりの殴り書き(いろんな意味で)。
きれいとはとてもじゃないけれど言い難い筆跡に、親近感を感じてしまった次第。
ブリューゲル:
ブリューゲル一族に限った話ではないけれど、向こうは名前がややこしい。
親子で同じ名前ということが良くあるから、とても分かりにくい。
ブリューゲル一族にしても
ピーテル・ブリューゲル1世(父)
ピーテル・ブリューゲル2世(長男)
ヤン・ブリューゲル1世(次男)
ヤン・ブリューゲル2世(次男の子)
ヤン・ピーテル・ブリューゲル(次男の孫)
といった感じ。
一族の娘と結婚して、ブリューゲル一族に連なることになったダーフィット・テニールス2世にしても、
父親はダーフィット・テニールス1世
息子はダーフィット・テニールス3世
といった感じ。
という訳で作品の横には
父or子or孫orひ孫がチェックしてあって、とっても便利。
これがなかったら、ワケワカメになっているハズ。
ちなみに展示作品は、農村風景・静物画が多く、ヒエロニムス・ボス風の幻想的な作品はほとんどない。
幻想的な作品がないのは、ちょっと残念(-_-;)
2018年01月12日
「ルドルフ2世の驚異の世界展」はショボかった
「ルドルフ2世の驚異の世界展」に行ってきた。
僕は大黒屋でチケットを買うことが多いんだけれど・・・嫌な予感が的中した。
大黒屋の予想通りの内容だった(-_-;)
(今週から始まった)ルドルフ2世の驚異の世界展は、定価1600円→販価1200円。
ちなみに来週から始まる「仁和寺仁和寺と御室派のみほとけ展」は、定価1600円→販価1400円。
来週で終わる(=投げ売り状態)の「古代アンデス文明展」は定価1600円→販価1350円
ルドルフ展は、仁和寺展より200円も安い!
それどころか、投げ売りのアンデス展よりも安い!
大黒屋は「ルドルフ展は、つまらない」と判断している訳だ。
澁澤龍彦や種村季弘を通じてルドルフ2世を知った僕としては、いろいろと期待に胸が膨らんでいたわけなんだが・・・。
ショボかった・・・。
悲しくなるくらいにショボかった・・・。
何がショボかったかといえば・・・。
1、工芸品が少なかった
2、絵画は、微妙なレベルの作品が大半を占めていた
この2点に尽きるかなぁ。
ハエを描いた作品が3点ほどあったのには受けたけれど・・・。
期待が大きかった分、肩透かし食らった気分だな(-_-;)
僕は大黒屋でチケットを買うことが多いんだけれど・・・嫌な予感が的中した。
大黒屋の予想通りの内容だった(-_-;)
(今週から始まった)ルドルフ2世の驚異の世界展は、定価1600円→販価1200円。
ちなみに来週から始まる「仁和寺仁和寺と御室派のみほとけ展」は、定価1600円→販価1400円。
来週で終わる(=投げ売り状態)の「古代アンデス文明展」は定価1600円→販価1350円
ルドルフ展は、仁和寺展より200円も安い!
それどころか、投げ売りのアンデス展よりも安い!
大黒屋は「ルドルフ展は、つまらない」と判断している訳だ。
澁澤龍彦や種村季弘を通じてルドルフ2世を知った僕としては、いろいろと期待に胸が膨らんでいたわけなんだが・・・。
ショボかった・・・。
悲しくなるくらいにショボかった・・・。
何がショボかったかといえば・・・。
1、工芸品が少なかった
2、絵画は、微妙なレベルの作品が大半を占めていた
この2点に尽きるかなぁ。
ハエを描いた作品が3点ほどあったのには受けたけれど・・・。
期待が大きかった分、肩透かし食らった気分だな(-_-;)
2018年01月03日
今年もトーハクで初詣してきた!
トーハクで初詣してきた。「博物館で初詣」というキャッチコピーは、十数年前に始まったんだよな。初めて聞いたときは、「はぁ?」となったけれどねぇ(-_-;)
※本当の初詣は、近所の小さな神社で済ませた。
今年も人が多かったなぁ。昨日の森美術館もそうだったけれど、外国籍の人が多かったなぁ。いろんな言葉が飛び交っていたよ。
舞台芸能としての獅子舞には違和感がないわけではないけれど、これは致し方ないことだよねぇ。
僕にとっての獅子舞は、頭を噛まれたり、千円札をご祝儀で渡したりするものであって、舞台で見るものではないけれど(-_-;)
閑話休題
黒田記念館では、「湖畔」「読書」「智・感・情」が展示中。美術の教科書に掲載されている作品を、生で見れるのは良いねぇ。美術館に来た!という感じがするよ。
「鳥獣戯画断簡」
隣には、江戸時代の甲本の模写が展示してあるんだけれど・・・。
やはり本物と模写では、違うんだなぁ。
僕でもわかるくらいに、違うんだな。
伊藤若冲「松梅孤鶴図(しょうばいこかくず)」
「松梅孤鶴図」は、観たことある作品だけれど、何度見ても良いもんだ。
それにしても伊藤若冲ブームが去ったことは、良かったような、良くないような・・・そんな今日この頃だな。
「紅型」
緑のライオンで、紅型の説明展示があった。
指導は、城間紅型。
時代がやっと、沖縄に追いついたのかな・・・と思う今日この頃。
サザエ型の兜
左側の兜は、サザエを意匠しているらしい。
強いんだか?強くないんだか?・・・サザエの兜は、微妙だな。
※本当の初詣は、近所の小さな神社で済ませた。
今年も人が多かったなぁ。昨日の森美術館もそうだったけれど、外国籍の人が多かったなぁ。いろんな言葉が飛び交っていたよ。
舞台芸能としての獅子舞には違和感がないわけではないけれど、これは致し方ないことだよねぇ。
僕にとっての獅子舞は、頭を噛まれたり、千円札をご祝儀で渡したりするものであって、舞台で見るものではないけれど(-_-;)
閑話休題
黒田記念館では、「湖畔」「読書」「智・感・情」が展示中。美術の教科書に掲載されている作品を、生で見れるのは良いねぇ。美術館に来た!という感じがするよ。
「鳥獣戯画断簡」
隣には、江戸時代の甲本の模写が展示してあるんだけれど・・・。
やはり本物と模写では、違うんだなぁ。
僕でもわかるくらいに、違うんだな。
伊藤若冲「松梅孤鶴図(しょうばいこかくず)」
「松梅孤鶴図」は、観たことある作品だけれど、何度見ても良いもんだ。
それにしても伊藤若冲ブームが去ったことは、良かったような、良くないような・・・そんな今日この頃だな。
「紅型」
緑のライオンで、紅型の説明展示があった。
指導は、城間紅型。
時代がやっと、沖縄に追いついたのかな・・・と思う今日この頃。
サザエ型の兜
左側の兜は、サザエを意匠しているらしい。
強いんだか?強くないんだか?・・・サザエの兜は、微妙だな。
2018年01月02日
レアンドロ・エルリッヒ展に行ってきた
今年1回目の美術館巡礼として、レアンドロ・エルリッヒ展に行ってきた。
元日からオープンしている美術館は、都内ではココだけ(たぶん)。
それなりに混んでいるかなぁ・・・と思っていたけれど、空いていてびっくり(-_-;)
やはり元日からっ美術館に行く人は、多くないのね。
行ってきた感想を一言で言うと、「自分の目に見えるモノが、事実とは限らないという当たり前のことを再認識させられた」。
ポスターにもなっている壁に張り付く人々(作品名:建物)は、何がどうなっているのかなぁ・・・と思っていたら、巨大な鏡が45度の角度で張り付けてあるんだね。納得!
しかもそれは、階段の裏側でした・・・みたいなオチもあるみたい('◇')ゞ
「教室」は、自分の姿がガラスに反射して、自分=亡霊のようなイメージで自分が見える作品。
左側の黄色い亡霊が僕(草野)。
「試着室」は迷路のような作品。
鏡があるべき部分がぶち抜きになっているため、「自分が写っているはずの枠内に他人が見える」状態になる。
入口から出口へは、ぶち抜きになっている枠を何個も通り越す必要があり、迷路的になっているのが笑える。
(本物の迷路ほど、脱出に迷う訳ではないけれれど)
「美容室(だったかな?)」は、だまし絵的な作品。
椅子に座ると、前にあるはずの鏡はぶち抜きになっており、入る前には存在が分らない隣室の美容室を歩いている人たちが鏡に写ることになる。
あるいは、手前の鏡ではなく、奥の鏡に自分が写ることになり、「頭の中が???」となる。
これは結構・・・焦る。
今年は元日から、気分が良いね。
元日からオープンしている美術館は、都内ではココだけ(たぶん)。
それなりに混んでいるかなぁ・・・と思っていたけれど、空いていてびっくり(-_-;)
やはり元日からっ美術館に行く人は、多くないのね。
行ってきた感想を一言で言うと、「自分の目に見えるモノが、事実とは限らないという当たり前のことを再認識させられた」。
ポスターにもなっている壁に張り付く人々(作品名:建物)は、何がどうなっているのかなぁ・・・と思っていたら、巨大な鏡が45度の角度で張り付けてあるんだね。納得!
しかもそれは、階段の裏側でした・・・みたいなオチもあるみたい('◇')ゞ
「教室」は、自分の姿がガラスに反射して、自分=亡霊のようなイメージで自分が見える作品。
左側の黄色い亡霊が僕(草野)。
「試着室」は迷路のような作品。
鏡があるべき部分がぶち抜きになっているため、「自分が写っているはずの枠内に他人が見える」状態になる。
入口から出口へは、ぶち抜きになっている枠を何個も通り越す必要があり、迷路的になっているのが笑える。
(本物の迷路ほど、脱出に迷う訳ではないけれれど)
「美容室(だったかな?)」は、だまし絵的な作品。
椅子に座ると、前にあるはずの鏡はぶち抜きになっており、入る前には存在が分らない隣室の美容室を歩いている人たちが鏡に写ることになる。
あるいは、手前の鏡ではなく、奥の鏡に自分が写ることになり、「頭の中が???」となる。
これは結構・・・焦る。
今年は元日から、気分が良いね。
2018年01月01日
東工大の学食(第2)で、辛いラーメンを食べてきた
自分自身への覚書として書いておく次第。
東工大の大岡山キャンパス・本館地下1階にある第二学食に行ってきた。
(いったのは12月15日)
ここは、アラカルト方式がすごく充実している。しかも安い!
少し前までは、「大根おろし 10円(税込)」なんてメニューもあったらしい。
食べたのは、アラカルトではなくて、辛味噌ラーメン。360円也。安っ!
そして名前通りに辛かった。
東工大の大岡山キャンパス・本館地下1階にある第二学食に行ってきた。
(いったのは12月15日)
ここは、アラカルト方式がすごく充実している。しかも安い!
少し前までは、「大根おろし 10円(税込)」なんてメニューもあったらしい。
食べたのは、アラカルトではなくて、辛味噌ラーメン。360円也。安っ!
そして名前通りに辛かった。
2017年11月20日
「19世紀日本の風景 錦絵に見る経済と世相」@貨幣博物館を観てきた
自分自身への覚書として書いておく次第。
貨幣博物館で開催中の「19世紀日本の風景 錦絵に見る経済と世相」を観てきた。
展示作品は、歌川広重・三代歌川豊国・豊原国周・歌川国芳・落合芳幾・歌川芳虎など、合計46点。
12月3日まで。
無料。
貨幣博物館で開催中の「19世紀日本の風景 錦絵に見る経済と世相」を観てきた。
展示作品は、歌川広重・三代歌川豊国・豊原国周・歌川国芳・落合芳幾・歌川芳虎など、合計46点。
12月3日まで。
無料。
2017年11月16日
吉岡徳仁 光とガラス展に行ってきた
自分自身への覚書
11月9日付
ギャラリー21‗21で開催中の吉岡徳仁 光とガラス展に行ってきた。
写真はウォーターブロックというタイトルの、ガラスのベンチ。
展示品だから座れる訳ではないけれど。
端から端を見ると、きれいに向こう側が見える!ことにびっくり。ガラスって、光の屈折によって見え方が変わるんだけれど、こんな風にも見えるんだね(驚)
11月9日付
ギャラリー21‗21で開催中の吉岡徳仁 光とガラス展に行ってきた。
写真はウォーターブロックというタイトルの、ガラスのベンチ。
展示品だから座れる訳ではないけれど。
端から端を見ると、きれいに向こう側が見える!ことにびっくり。ガラスって、光の屈折によって見え方が変わるんだけれど、こんな風にも見えるんだね(驚)
2017年11月07日
2017年11月04日
典雅と奇想 明末清初の中国名画@泉屋博古館分館の内覧会に行ってきた
内覧会は、写真は1点撮りでなければOKなんだけれど・・・。
スマホを忘れた。
ついでに双眼鏡も忘れた。
ということで、写真は1枚も無し(;´・ω・)
とはいえ、何もないのは寂しいので、カタログとペタをアップしておく次第。
タイトルの「典雅と奇想 明末清初の中国名画」を、超ざっくりとアバウトに説明すると「典雅と明末(迄)」と、「奇想と清初」が対応するわけなんだな。
明が滅んで、(明から見ると異民族の)清王朝が成立した。
世の中がひっくり返るような事態の中で、画家たちも色々とアレだった。
典雅を旨とする絵画だけでなく、奇想ともいうべき絵画が隆盛した・・・ということなんだな。
それは、そうだろうと思う。
画家も、売れる絵を描かなければ生活できないわけだから。
意に反した絵を描いた人もいるだろうし、明への望郷捨てがたい(=清への反発)人もいただろう。
・・・と、ここまでは、僕でも理解できることなんだな。
そしてそれが奇想というパターンになったであろうことも、理解できるんだな。
ただ全く理解できないのが、「この絵画の、どのが奇想なのか?」ということなんだな。
僕にとって奇想といえば「長澤芦雪」「伊藤若冲」「曽我蕭白」なんだな。
あるいは「ヒエロニムス・ボス」「ブリューゲル」なんだな。
さもなくば「サルバドールダリ」「ルネ・マグリット」なんだな。
いずれも分かりやすいんだな。
何が変なのか?どこが微妙なのか?見れば分かるんだな。
だけれど、「典雅と奇想 明末清初の中国名画」の作品は、どこが奇想なのか?パッと見で分からないんだ!
典雅を旨とする伝統的な中国絵画からすれば、「へんてこな石柱」や「奇抜な山々」は十分に奇想なのだろうけれど、僕の感覚では「???」なんだな。
「典雅と奇想 明末清初の中国名画」展を通じて、「自分の常識≠世界の常識」だと痛感させられたんだな。
自分の頭を柔らかくしたい人には、超お勧めなんだな。
善は急げ・電話も急げ・「典雅と奇想 明末清初の中国名画」展はもっと急げ!
特別展「典雅と奇想 明末清初の中国名画」
会場:泉屋博古館分館 東京都港区六本木1-5-1
会期:2017年11月3日(金・祝)~12月10日(日)
サイト:https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html
スマホを忘れた。
ついでに双眼鏡も忘れた。
ということで、写真は1枚も無し(;´・ω・)
とはいえ、何もないのは寂しいので、カタログとペタをアップしておく次第。
タイトルの「典雅と奇想 明末清初の中国名画」を、超ざっくりとアバウトに説明すると「典雅と明末(迄)」と、「奇想と清初」が対応するわけなんだな。
明が滅んで、(明から見ると異民族の)清王朝が成立した。
世の中がひっくり返るような事態の中で、画家たちも色々とアレだった。
典雅を旨とする絵画だけでなく、奇想ともいうべき絵画が隆盛した・・・ということなんだな。
それは、そうだろうと思う。
画家も、売れる絵を描かなければ生活できないわけだから。
意に反した絵を描いた人もいるだろうし、明への望郷捨てがたい(=清への反発)人もいただろう。
・・・と、ここまでは、僕でも理解できることなんだな。
そしてそれが奇想というパターンになったであろうことも、理解できるんだな。
ただ全く理解できないのが、「この絵画の、どのが奇想なのか?」ということなんだな。
僕にとって奇想といえば「長澤芦雪」「伊藤若冲」「曽我蕭白」なんだな。
あるいは「ヒエロニムス・ボス」「ブリューゲル」なんだな。
さもなくば「サルバドールダリ」「ルネ・マグリット」なんだな。
いずれも分かりやすいんだな。
何が変なのか?どこが微妙なのか?見れば分かるんだな。
だけれど、「典雅と奇想 明末清初の中国名画」の作品は、どこが奇想なのか?パッと見で分からないんだ!
典雅を旨とする伝統的な中国絵画からすれば、「へんてこな石柱」や「奇抜な山々」は十分に奇想なのだろうけれど、僕の感覚では「???」なんだな。
「典雅と奇想 明末清初の中国名画」展を通じて、「自分の常識≠世界の常識」だと痛感させられたんだな。
自分の頭を柔らかくしたい人には、超お勧めなんだな。
善は急げ・電話も急げ・「典雅と奇想 明末清初の中国名画」展はもっと急げ!
特別展「典雅と奇想 明末清初の中国名画」
会場:泉屋博古館分館 東京都港区六本木1-5-1
会期:2017年11月3日(金・祝)~12月10日(日)
サイト:https://www.sen-oku.or.jp/tokyo/program/index.html
2017年10月21日
「没後20年 麻田浩展 静謐なる楽園の廃墟」の謎解きに失敗・・・ネタが多すぎて、わからん(;´・ω・)
練馬美術館で開催中の「没後20年 麻田浩展 静謐なる楽園の廃墟」に行ってきた。徒歩圏内に美術館があるって、ホントに良いなぁ。
僕は麻田浩という画家を全く知らなかったのだけれど、平日にもかかわらず、それなりに混んでいたから、有名な人なんだろう(たぶん)。
画風は変遷が激しくて、同一人物とは思えないほど。
そして謎解きが多い。宇宙空間と机上と遠景が並列しているとか、目隠しされた女神だとか、飛翔する女性の下半身とか、黒く塗りつぶされた月と沼だとか、円形の多用だとか、空から落ちてくる土の塊だとか・・・。
しかもフランドル絵画からシュールレアリスムまで、キリスト教からメメントモリまで、いろんな影響を受けているから、本当に難解(;´・ω・)
謎解きはほとんどできなかったけれど、それはそれで楽しいアレだった。
2017年10月21日
南郷町の聖観音立像さまが、長期出張中
上野にある「びわ湖長浜観音ハウス」に、先月の20日から出張されているのは、南郷町の聖観音立像さま。
穏やかな面相・繊細で流れるような衣文は、いかにも平安期の作。
仏さまを、身近に感じられる幸せは、何物にも代えがたいと思う今日この頃。
2017年10月21日
「怖い絵展」は、「まったく怖くない絵を怖いと言い張る、別な意味で怖い絵」展だった
上野の森美術館で開催中の「怖い絵展」に行ってきた。
あちこちで宣伝しているから混んでいたけれど・・・中身は薄かったなぁ(;´・ω・)
公式サイトを見て「微妙だなぁ・・・」と予測していたけれど、本当に微妙だった。
「この程度の企画で特別展を開催して、バンバンと宣伝をかけちゃう」なんて、違う意味で「怖い絵展」だった。
まずは「知らない画家」ばかりというのがアレ。僕が無知だということを差し引いても、どうかと思う。(僕が知っていた画家はルドン・ビアズリー・ウォーターハウス・ムンク・ターナー・セザンヌ・モローなど数名程度)
しかも知っている画家の作品も、「ん・・・ちょっと」と言いたくなるレベルが大半。
取り上げられているテーマも、サロメとか、ソドムのロトとか、スザンナと長老とか・・・通常の展覧会で何度も見ているものが大半(;´・ω・)
毎年、夏なればあちこちの美術館で行う「お化け展」や「幽霊展」「地獄絵展」のほうが、よっぽど怖い(;´・ω・)
ちなみに客層も、上野界隈の美術館のいつもの人たちとは違っていて、「音声ガイドを借りる人がメチャ多い」「単眼鏡・双眼鏡を持っている人は、ほぼ皆無」だった。
中野京子さんの本は面白いと思うけれど、「怖い絵展」は微妙だなぁ・・・。
2017年10月10日
深沢直人がデザインする生活の周囲展@パナソニック汐留美術館
自分へのメモ書き
深沢直人がデザインする生活の周囲展@パナソニック汐留美術館に行ってきた。
もう2週間も前のことだけれど(;´・ω・)
会期末(10月1日まで)だけれど、空いていた。会期末でも空いている美術館は良いなぁ!(美術館的には、まったくよくないだろうけれど)
通路に空気清浄機が置いてあった。「気が利くなぁ!」と思っていたら展示品だった。
通路に間接照明が置いてあった。「微妙な証明だなぁ!」と思っていたら展示品だった。
通路に便器が・・・以下同文。
監視員さんが座っている椅子に見覚えがあるなぁ・・・と思っていたら、展示品の椅子と同じだった。
文字盤のない時計があった。どうやって時間を知るのだろうと思っていたら、ガラスの角(ガラスは十二角形)で知るんだと!
色んな意味でスゴイね。
もっとも10月1日で終了だけれど。
深沢直人がデザインする生活の周囲展@パナソニック汐留美術館に行ってきた。
もう2週間も前のことだけれど(;´・ω・)
会期末(10月1日まで)だけれど、空いていた。会期末でも空いている美術館は良いなぁ!(美術館的には、まったくよくないだろうけれど)
通路に空気清浄機が置いてあった。「気が利くなぁ!」と思っていたら展示品だった。
通路に間接照明が置いてあった。「微妙な証明だなぁ!」と思っていたら展示品だった。
通路に便器が・・・以下同文。
監視員さんが座っている椅子に見覚えがあるなぁ・・・と思っていたら、展示品の椅子と同じだった。
文字盤のない時計があった。どうやって時間を知るのだろうと思っていたら、ガラスの角(ガラスは十二角形)で知るんだと!
色んな意味でスゴイね。
もっとも10月1日で終了だけれど。
2017年10月01日
東博の運慶展は激混み対策済・始まったばかりなのに、かなりの混み具合
運慶展に行ってきた。と言っても、4日ほど前のことだけれど。
平日だったけれど、かなり混んでいた。
美術館には年に何十回と行くけれど、デパートのような呼び出しを聞いたのは初めてのことだ。しかも2~3時間の間に2回もだ。
「青森県からお越しの○○様。1階のインフォメーションセンターまでお越しください」と「何とか県お越しの○○様。1階のインフォメーションセンターまでお越しください」。
青森県からも来るんじゃ、そりゃ混むよね。
という訳で東博も、混雑対策を対応済。
1、建物の外にテントを張りだし
2、建物の外に、会場見取り図を張り出し
3、いつもならエスカレーターを上がってすぐに入口があるのだけれど、運慶展ではエスカレーターの反対側に入口がある。館内でも並ばせようということだ。
これは間違いなく、会期末は大変なことになるな(;´・ω・)
2017年09月28日
2017年09月24日
三井記念美術館で開催中の「明治工芸から現代アートへ 驚異の超絶技巧!」展を観てきた
三井記念美術館で開催中の「明治工芸から現代アートへ 驚異の超絶技巧!」展を観てきた。
前回が清水三年坂美術館(←明治時代の超絶技巧専門美術館)の引っ越し展だったのに対し、今回は明治時代の超絶技巧と、そのDNAを受け継いでいる現代作家展という趣向。
だから現代アートと言っても、取っつきにくい感のあるアレではなくて、とても分かりやすい&親しみやすい作品ばかり。
たとえば明治時代の自在置物(昆虫)は腹部を動かすことはできなかったけれど、現代の自在置物(昆虫)は腹部・あご・羽の開閉まで動かせるという精巧さ!
もっとも展示してあるだけでは、本当に腹部まで動かせるのかどうかわからず、ただの置物になってしまっている訳なんだけれど(;´・ω・)
※昆虫は、揚羽蝶々・カマキリ・赤とんぼ・甲虫雄・深山クワガタ・スズメバチ・アブラゼミ・ショウリョウバッタ・トノサマバッタ・カミキリムシ
そして展示作品の所蔵先は、半分が清水三年坂美術館で、半分が個人蔵!
良いなぁ・・・羨ましいなぁ・・・。
僕も、美術館に展示できるような作品を個人所蔵してみたいなぁ。
それから今回の特徴は、安藤緑山の作品が多く展示されていること。
前回の展示により安藤緑山の名が知られ、多くの作品の所蔵が明らかになった由。
安藤緑山の作品は、「これが牙彫?信じられん!」というものばかり。
胡瓜は胡瓜にしか見えない!柿は柿にしか見えない!
マツタケの傘の裏側の筋なんて、本物にしか思えない!
それから信之の柴売(牙彫)。
これが超リアルなんだな。
爪楊枝ほどの太さの柴を、牙で表現しているんだから、驚きだね!
そして・・・どうせなら旭玉山の牙彫も観たかったな。
旭玉山の作品は牙彫ではなく、木箱のレリーフなど。
レリーフに牙彫が使われているから、厳密には「旭玉山の牙彫作品は展示されている」ということになるんだけれど・・・。
ちょっと違うんだよなぁ。
ちょっと違うと言えば、加藤夏雄の作品も違うんだよなぁ。
合口拵・煙草入れ・鉄瓶が展示されていて、金貨は1枚も展示されていないんだな。
僕にとっては、加藤夏雄=明治時代の金貨の原型作家なんだな。
なにはともあれ、超お勧めです。
本当にお勧めです。
善は急げ・電話も急げ・超絶技巧展はもっと急げ!
※単眼鏡・双眼鏡は必需品です。精巧山の「雀蝶尽くし茶碗」の前には拡大鏡が置いてありますが、雀も蝶も小さすぎて見えません。
単眼鏡・双眼鏡で拡大鏡を通してみて初めて分かるレベルの細かさです。
2017年08月09日
学食ツアー@國學院大學
國學院大學の食堂「和(なごみ)」と、「「カフェラウンジ若木が丘」に行ってきた。
自分自身への覚書として書いておく次第。
和風メンチカツ定食@和 490円なり
サバみそ定食@和 490円なり
アイスコーヒー(S)@カフェラウンジ若木が丘 180円なり
メロンパン@カフェラウンジ若木が丘 140円なり
いずれも美味い!
自分自身への覚書として書いておく次第。
和風メンチカツ定食@和 490円なり
サバみそ定食@和 490円なり
アイスコーヒー(S)@カフェラウンジ若木が丘 180円なり
メロンパン@カフェラウンジ若木が丘 140円なり
いずれも美味い!
2017年08月09日
明大博物館で開催中の「進化する不可能立体錯視」展に行ってきました
この画像なんだけれど・・・。
凸に見えます?それとも凹に見えます?
明大博物館で開催中の「進化する不可能立体錯視」展に行ってきました。
夏休みだけに、子供たちでいっぱいでした。
ちなみに凸凹の答えは・・・。
真横から撮った写真でわかる通り、これは凸です。
人間は、凸と凹を見間違える傾向があるんですね!
オブジェの上端は平らではなく、凸凹があります。
しかし上から見ると凸凹には気づきません。
それに対し、鏡は凸凹を反映させます。
そのため手前のオブジェと、鏡の中のオブジェの形が違が売ように見える訳です。
凸に見えます?それとも凹に見えます?
明大博物館で開催中の「進化する不可能立体錯視」展に行ってきました。
夏休みだけに、子供たちでいっぱいでした。
ちなみに凸凹の答えは・・・。
真横から撮った写真でわかる通り、これは凸です。
人間は、凸と凹を見間違える傾向があるんですね!
オブジェの上端は平らではなく、凸凹があります。
しかし上から見ると凸凹には気づきません。
それに対し、鏡は凸凹を反映させます。
そのため手前のオブジェと、鏡の中のオブジェの形が違が売ように見える訳です。