2010年03月14日

辺見庸さんの「もの食う人びと」を十数年ぶりに読んでみた

辺見庸さんの「もの食う人びと」を十数年ぶりに読んでみた。

辺見庸さんの「もの食う人びと」を十数年ぶりに読んでみた

十数年ぶりに読むと、アレだな。
「ネオナチのレポートがあったんだ!」とか、
「チベットのレンガ状食品のレポートはなかったっけ?」とか、
自分の記憶の曖昧さが色んな意味で新鮮だ。


以前にに読んだ食物関係の本の内容と、「もの食う人びと」の内容が僕の脳内でミックスされて、
「新しい記憶」に成り代わっている訳なんだな。
自分の記憶が、いかに当てにならないことか!
あぁ・・・自分で自分を笑っちゃうくらいに恐ろしい訳よ ヽ(´▽`)ノ♪


もっとも物質の本質は『揺らぎ』と首相みずからおっしゃってられるようだから、
僕の脳内で行われた「記憶を書き換える作業」も本質なんだろう・・・。
パソコンで、間違えて「コピー&ペースト」しちゃったみたいな感じなんだろう・・・たぶん。


ただ・・・十数年を経ても、確実に記憶していた点もある。
我ながら偉い!と思う。
・・・誰も僕をアレしてくれないだろうから、自画自賛しておく ヽ(´▽`)ノ♪・・・

それは、あとがきで辺見庸さんが書いている「奇食に見えて、しかし、奇食など世界には一つとしてない」という一文だ。


人間は食に関しては保守的であることが多いから、自分の知らない食文化は「奇食」や「ゲテモノ食い」「野蛮食」とみなすことが多い。
特に「家畜」と「ペット」の境界が曖昧な動物を食することに、その傾向が強い・・・と思う。

・・・その傾向が強いと思うけれども、
偏見や先入観は簡単に治るものでないから、
「奇食に見えて、しかし、奇食など世界には一つとしてない」と力説したところで、
判らない人には判らない世界だろうなぁ・・・。
世の中は美味しいもので満ち溢れているのに。


ブリア=サヴァランの「美味礼讃」だったか、
それとも他の本だったか・・・忘れてしまったが、
「食通になるためには、大食いであることと、何でも食べることが前提条件だ」と書いたあったように記憶するけれど・・・。
(これも当てにならない記憶だ・・・)

ナニにせよ、
世界に満ち溢れている美味しいものを食べずに死ぬなんて、もったいないと僕は思うのだ。


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Posted by 草野俊哉@三線弾いてハッピーライフ! at 23:36│Comments(0)
 
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